カテゴリ:BruceSpringsteen



28日 12月 2021
 忙しすぎると言ってしまえば,身も蓋もない話ですが,一昨年のお正月が明け,もっと,2019年に聴いた音楽について書きたいな思っていて,ワルターの新しいマスタリングの盤が発売されたことを受け,見違えるような聞き応えになっていたハフナーシンフォニー(K.385)のことでも次は触れたいなと思っているうち,年始の怒涛ような毎日が動き出してしまい,日常の中で機を逸してしまいました。  翌2月には,ダイアモンド・プリンセス号のことが連日ニュースのトップに報じられるようになり,3月には全国の学校が一斉に休校になって,2020年の春の時点では裁判所も開店休業の状態となりました。そして,夏のオリンピックも延期,再開したJリーグも無観客となり,私の事務所にもアルコール消毒の装置が置かれ,アクリル板も設置して,お客さんにも使い捨ての紙コップでお茶を出し,タオルも紙になり,次第に事務所に行く回数自体が減り,毎日がZoom会議で始まって,飲み会すらZoomで開かれるようになりました。  コロナ禍に振り回され,気づけば直2年,2021年も暮れようとしています。私たちの生活は大きな変更を余儀なくされ,口を開けば,コロナの前後で世界は変わってしまったという言説に溢れています。  そんな今年の11月になって,Springsteenの1979年のライブ盤が発売されました。1979年9月22日ジャクソン・ブラウンやトム・ペティも参加したニューヨークマディソンスクエアガーデンでのNo Nukesのコンサートです。未だRiverが出る前で,レパートリーの中心は78年の「闇に吠える街」からのナンバーが中心ですが,一曲目のProve It All Nightが始まるともう大変で,間奏で,クラレンスのサックスが入ってくると,演奏者も聴いているこちらも脈の上がっていくのがはっきりと分かります。  本当に幸いなことに,Bruce Springsteen & The E Street Bandは,二度しかなかった来日公演,85年の代々木体育館と,88年の東京ドームの両方を聴く機会に恵まれました。後者は,アムネスティ主催のオムニバスなコンサートで,単独公演でなくて,時間も短かったことと(Peter Gabrielや,Tracy Chapmanといった豪華な面子でしたが,…),柿落とし間もないドームで,遠い上になんだか音が籠っていて残念な音響だった記憶なのですが,前者は,Born In The U.S.Aの大ヒットを受けた初来日公演で,忘れることのできない夜になりました。  代々木体育館は,横浜アリーナと同様ラクビーボールのように細長で,席が,大きな星条旗の掲げられたステージから離れていたこともあって,目の前の観客が開演前気になって仕方がありませんでした。というのも,日本の色々な場所で,様々なアーティストのステージに接しましたが,この日の公演くらい,日本人以外の人が会場で目立っていたことはありませんでした(同じ場所で観たBilly Joelなど日本人の姿しかありませんでした。)。そして,その目立つ米国人と思しき人たちが実に反知性的な態度で,始終ピーピーと煩いで,ふざけていて,ぼくは開演前に,すっかり,1880年にドストエフスキーが最後の小説のエピローグで,「アメリカの俗物ども」「俺はアメリカが嫌いでたまらないんだ」と書いたのとまったく同じ気持ちで開演を待っていました。吉田秀和さんが,ルービンシュタインについて,カーネーギーホールで観た時のことに触れ,彼がアメリカの聴衆の熱狂に応え,英雄ポロネーズか何かの演奏の後拳闘のチャンピオンがするように,両手の拳を握り合わせて頭の上にまで持っていっていたことを報告していて,そこで感じた違和感についてしばしば書かれているのですが,ぼくの場合は,この日のコンサート以来,アメリカの聴衆に対する偏見としてすっかりこびり付いてしまい,こんなことだから,Born In The U.S.Aが共和党の政治集会で使われ,Springsteenが歌詞をよく聴いてくれなんてコメントすることにまでなるんだなぁ,と妙に納得してしまったことをよく覚えています(ぼくがこの偏見から解放されるのは,2011年の8月を待たねばならないのですが,そのことはまた別の機会に書き留めたいと思います。)。  けれど,そんな不満もコンサートが始まってしまえば,一曲目のBorn In The U .S.Aの歌い出しで吹っ飛び,圧巻の横綱相撲で,圧倒され続けました。そして,ついに,アンコールで,ブルースの発するカウントに乗ってBorn To Runのイントロのドラムが入ってきた瞬間のあの恍惚感や,続くデトロイトメドレーですべてから解放されたような感覚は,40年近も昔の出来事のようには思えない現実味のある記憶になっています(これに一番近い音楽は,ベートーベンのハ短調シンフォニーの終楽章しか思い当たりません。)。  今回出た1979年のライブでは,同じく今年11月に配信されたビートルズのGet Backセッションでもそうだったように,技術の進歩がもたらした信じがたい程の高音質で,ジャクソン・ブラウンやトム・ペティも入ったStayを挟んで,Born To Runからデトロイトメドレーへとひたすら盛り上がり続けます。1985年の5枚組のライブ盤よりも(CDでは3枚組でしたが,これはぼくの買った最後のレコードになりました。),No Nukesで反核や反原発の盛り上がりがあったためなのか,バンドがまだまだ右肩上がりであったせいか,ただ,みんな若かったためか,もっと細身で,だからもっと速くて,何か多くの熱が伝わってきます。スティーブのギターもいいし,クレメンスのブロウも最高で,ロックンロールという音楽ジャンルの「未来」というより「頂点」が捉えられている,と言い切っても,どこにも誇張がないような気がします。とどめを指すのは,ブルースの声ですね。拓郎が昔ラジオで,この人は,声だけ聴いていればいいというような話をしていた記憶がありますが,本当に何か,その叫びには,生きるということを根源的に問いただすような力が宿っているように感じられます(拓郎の声にも同じ魅力があるからきっと嫌でも気づくのでしょう。)。コンサートの最後のパフォーマンスで,マイクに向かって,「I Can’t Stand Any More. I’m 30 years old.」と叫ぶブルースの声も元気一杯です。  この2年間,というよりも,この42年間,お前はちゃんと生きていたのか,外にあるものだけに振り回されていたのではないか,お前の内なる思いは,未だ確かなのか,そう喉元に突きつけられるような気持ちになる演奏だし,そんなことを思い出させてくれる声が響きます。