今年は、1月14日に、かねてから噂のあったAppleのクラッシック音楽向け配信サービス Apple Music Classical が遂にリリースされました(先行して「ジャーナル」という使い勝手のよい日記アプリがiPhone上でリリースされたので、記念日の記録化は、さらに加速されますね。)。
早速インストールしたものの、当初は、Apple Music Classical のアプリからレコメンドされても、どれもこれも名前も知らない若いアーティストばかりで、ちょっと試しに聴いてみることすらせずにたのですが、ちょこちょこ耳にしているうち、あれこれ素晴らしいものに触れるようになって、最近では、次々と今年出たばかりの作品の配信の虜になってしまい、2024年のプレイリストは、Lan Lan の後もやけにクラッシック音楽ばかりになってしまっています(わたし自身、自分のブログでも、ずいぶん前に取り上げているのですが、クラッシック音楽で、配信といえば、これまでなんと言ってもNaxosでしたが、こちらはAIを使っていないということなのか、Appleのように、あるいは、ポピュラー音楽のようには余り推してこないので、その点で、Appleの方には、新しさがあるように思います。)。
これらに共通しているのは、まず、録音が素晴らしことです。ポピュラー音楽のジャンルでも、2016年頃からすっかり音の次元が別世界になったような気がしていて、たとえば、Joe Henrry プロディース CHELY WRIGHT の I Am the Rain など、アコギの音色ひとつとっても生音を超えているような感覚が強い記憶として残っているのですが、より音数が多くて録音に困難さが付き纏いそうなクラッシックのジャンルでも、昨今同様の進化を耳にすることができます。たとえば、アンドレ・シュエンという男性性を強く感じさせる歌手の歌う冬の旅では(これは、グラモフォンですが、)、透明な声の膜に少しだけざらざらとした接触感が堪らなく上手く拾われているように思いますし、マチルド・カルデリーニ というフルーティストのフランス物を集めたAvec ellesというアルバムでは、フルートの音色の輝かしさや、柔らかさがまるで名前だけでなく、本物の木製の楽器であるかのように響いています。
次いで、これらの新しいアルバムでは、どれもジャケットが新鮮で素敵ですね。80年代には、NHKのバライティ番組などと並んで、クラッシック音楽のレコードのジャケットは、目を覆いたくなるほど野暮でダサいものの極にある印象でしたが、2024年のアルバムでは、アーティスティックだったり、音楽との内的な関連を感じられるものだったり、余計な個性を主張していなかったり、少なくとも、消極的な感情を起こさせないように作られています。
そして、何より、言いたいのは、吉田秀和さんがいたら、きっと今月の一枚で取り上げたのではないかと思うような、どれもとても個性的で、新しい音楽が響いているということです。もはや、レコード芸術のような雑誌さえとうの昔に廃刊となってしまった今の日本で、本物、と言って言い過ぎなら、音楽性のある音楽や優れた演奏家について、新しい情報を得ることは、そんなに易しいことではありません。ロバート・レヴィン & ボヤン・チチッチのモーツァルトの2台、3台用のコンチェルトのように、古楽器で分かりやすく新しい音を響かせるものばかりでなく、ティファニー・プーンという新人ピアニストの弾く子供の情景の夢見るような音の揺れや(こちらは、デッカですね。)、ニコラ・ベネデッティ, シェク・カネー=メイソン, ベンジャミン・グローヴナーという3人が挑んだ敵陣でフォワードが見せるワンタッチのパス回しのような鬼気迫るベートーベンのトリプル・コンチェルト(これもデッカですね。)、どれも、身震いを覚えるような音の挑戦であり、その矢印はいずれも喜びというゴールに向かっているように感じられます(トリプル・コンチェルトといえば、カラヤンの旧盤ばかり聴いていたので尚更です。)。
そして、いつの間にか、聴いているこちらまで、喜びの中に飛び込んでいくような力が内側から立ち上ってくるのを感じられます。
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