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Dark Waters

 Apple TV で、映画 Dark Waters を観ました。昨年日本でもようやく規制されることになったPFOAなどの化学物質による土壌や河川、飲料水などの汚染被害を扱った実話に基づく作品です。

 シン・ウルトラマンのように、そこいら中の人が発言している映画ではないですし、でも、とても考えさせられたので、ここにも書いておきたいなと思いました。

 考えさせられた第一は、メディアの違いです。劇中に描かれたマスメディアの報道姿勢もそうですが、そもそも、このような映画が制作できること自体が驚異ですね。(日中戦争の最中に「風と共に去りぬ」を観て、こんな国と戦争したら敵わないと思ったと言っていた方がいらっしゃいましたが、)日本映画には到底覚束ないリアリティです。そもそもデュポンや3Mといった企業名や、テフロン(加工)といった商品名まで、全部実名で、驚かされます。すぐに毎朝新聞とか出てくる日本の映画には、森友学園とか、加計学園なんて名前を出すこと自体あり得ないことでしょう。

 考えさせられた第二は、メディアの在り方の違い以上に開きのある司法の違いです。弁護士がどんなに頑張ったとはいえ、所詮雌雄を決するものは裁判所(の判断)です。訴訟の前の資料の開示手続きによって、大量の資料が出てくる様や、裁判官が公正中立な第三者として権力にも一切動かされることなく、正義の剣を翳す様は、私たちの心の中にある正義の化身そのものです(主人公の弁護士やその所属する法律事務所が日頃企業側の立場に立ち、いわゆる括弧付きの人権活動を行っていない法律家たちであったことも物語に深みを加えているように思いました。)。

 そして、何より、この映画は、映画として、優れています。筋から言えば、この映画は、事実に基づく告発の話であり、公害企業の醜さ、そこで傷つけられた人々の身体と心、その救済の物語を軸とするものではありますが、それだけでは、映画として一流になるものでないことは当然です。

 黒澤明は、独立したら、いきなり儲けに走ったと言われては心外だからということで、黒澤プロダクションの一作目の作品として、政治汚職というシリアスな題材を扱った「悪い奴ほどよく眠る」を撮りましたが、ここでは、汚職の闇自体の不気味さや、サスペンスとしての娯楽性に加え、(悪をもって悪を倒すことはできるが、)果たして、善をもって、悪を倒すことはできるのかという主題(三船敏郎と香川京子の抱擁の場面に集約されています。)が設定され、最後に、この主題を肯定できなくなるという落ちを用意してドラマに深みを与えました(私たちの苦い気持ちを象徴するかのような潰れた自動車のカットに極めて映画的に表現されています。)。政治汚職の映画だからといっても、それだけを描いていては、5年もすれば、事件と同様忘れ去られてしまうことでしょう。

 その点、ダーク・ウォーターズは、実話に基づく弁護士の話というだけでなく、人間のドラマとして普遍性があります。主人公の弁護士の葛藤や体調の不調はもちろん、その家族の反応や、同僚との関係、依頼者との困難なやり取りなど、実に丁寧で、腑に落ちるところばかりでした。

 そして、もう一つ付け加えるならば、この人間のドラマを盛り上げるための音楽の使い方の素晴らしさを上げることもできると思います。途中出てくるジョン・デンバーのカントリー・ロードなどは、黒澤が、(映像と音楽の)対位法と名付け「野良犬などで多用していた手法と同じで、完璧にはまっていますし、エンドロールに流れる音楽もこれ以上のない選択ですね。> 誰も知っている有名な曲の有名な歌唱ですが、ネタバレになってしまうので、ここでは敢えて伏せておきたいと思います。