弁護士本田正男のBlog Page


 毎日聴いている音楽や、読んでいる本その他についての感想などを書いています。

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Year of

 2016年に Apple Music で音楽体験のほとんどを済ませるようになってから、その年に聞いてきた新譜があちこちに散らかってしまったり、果てはどこかに霧消してしまうのが惜しくて、その年毎のプレイリストを作ってきました。

 たとえば、2022年は、この年リマスタリングされたブタペスト弦楽四重奏団のベートーベンの全集を冒頭に置き、飽きもせず、特に、最初の作品18の6曲セットなどは、この作品をこんな数聴いた人っているのかしらと思うくらい、作曲中にベートーベンが考えていたことが思い当たるぐらいの数繰り返し、何より日々の滋養にしてきました。

 そして、今年2024年春新譜として登場したのが、サン・サーンスを中心にフランス物を収めたLan Lanのディスクです。

 Lan Lanは、未だDeutsche Grammophonからディスクが出ていなかった時分の昔に来日した際、妻も通っていたサロンで同じ美容師に髪を切ってもらっていたということで親近感を持っていたのですが(単純すぎですね。)、ポリーニなどが過去の人になっていく中、あれよあれよという間にピアニスト界の頂点に立ったような扱いになっていますね。ぼくの Year of のプレイリストでは、2021年のリストの2番目に、ゴールドベルグ変奏曲の印象的な録音を置き、これまた穴の空くほど繰り返し聞いていましたが(世代によっては、意味不明な表現ですね。)、本来というべきか、年々というべきかピアノの音質がとても輝かしく、(昨年ミューザ川崎で、聴いた内田光子さんなどは、モーツァルトを弾いても、何を弾いても、常にイギリス的な暗さが霧の様に立ち籠めてくるのとは好対照に、)ルーヴィンシュタインの弾くショパンの様にとまで言ったら褒め過ぎなら、ルノアールの色の様に幸福感があって、サン・サーンスとは、本質的な相性の良さを感じます。

 Lan Lanは、たしか一昨年にはディズニー物も1枚出していて、これは流石に2022のプレイリストには入れずに済ましていたのですが(2022年のプレイリストには、ブタペストの全集の後、2番目に内田光子のディアベリ変奏曲を置いています。)、今度のフランス物は、音楽としても遥かに高級だし、コーヒーと同じ位すっかり中毒になってしまい、朝昼晩と繰り返しています。

 サン・サーンス、もちろん、オルガン付きも、動物の謝肉祭も、チッコリーニのピアコン全集も持ってはいますが、こんなに自分から求めたことなど過去になかったし、求める自分も想像すらできませんでした。やはり、人生は不思議だし、謎ですね。

 

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古寺巡礼

 日本史で受験を終えた次男の希望で、週末駆け足で奈良を巡ってきました。京都から電車に乗って、神奈川から東京に行くぐらいの距離にあるのに、恥ずかしながら、この歳で初めての奈良でした。

 奈良駅からはレンタカーで、誰れでも知っているような場所を次男の解説を聞きながら、廻ったのですが、最近の車は、CarPlayで、iPhoneに繋いで、ナビもMapを自在に使えるし、(ネットさえ繋がっていれば、)音楽も好き放題です。次男のリクエストで2018年に出た斉藤和義のベスト盤を聴きながら、なんだかタイムトラベルしているようでした(去年用事で江古田に行くのに久しぶりに山手線(外回り)に乗ったら、渋谷駅で、進行方向右側のドアが開き、原宿駅では、今度は左側のドアが開いたことに腰を抜かしたのですが、Mapの指示に従って、代々木駅で降り、総武線に乗り換えることしかできなかったはずの前方の階段を下ると、そこには改札口があって、大江戸線に乗り換えることができたのです。「不適切にもほどがある」の第1回で、バスから降りた阿部サダヲさんのような気分になっていました。)。


 たまたま最近オーディブルで推されたこともあって、予習のつもりで、古寺巡礼を聴いていたのですが、その文章の格調に魅入られ、眼でも追いかけたくなって、和辻哲郎の全集にも手を伸ばしてみました。一度朗読を聴いているので、ある程度内容を掴んでいるためか、寧ろ、表現、つまりは、文章の美しさに一層魅せられ、同時に、その永遠さに気付かされたように思いました。

 そして、和辻哲郎の全集には、「改訂序」という、関東大震災に触れるところから始まる昭和21年7月に書かれたオーティブルにはない端書きが付いているのですが、その中に、改訂版の発刊に至った事情の説明があり、「近く出征する身で生還は保ち難い、ついては一期の思い出に奈良を訪れるからぜひあの書を手に入れたい、という申し入れもかなりの数に達した。この書をはずかしく感じている著者はまったく途方に暮れざるを得なかった」と記されています。失礼を顧みなければ、ただ、仏像の曲線について、あれこれ情熱と若さをぶつけているだけの書だとさえ言えなくもない物だと思うのですが、その普遍性は、あるいは渇きに由来するものなのでしょうか。

 奈良公園に溢れる鹿の数を超えるオーバーツーリズムの人の群れに紛れながら、ふと、そんなことを考えました。

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あの頃、マリー・ローランサン

 気づくのが遅くて、もう終わってしまうところでしたので、先日の日曜日慌てて、体の空いていた娘とアーティゾン美術館マリー・ローランサン展を観に行ってきました。

 それも時間がなくて、僅か2時間余りの時間しかなかったで、どこまでも通り一遍の鑑賞でしたが、美術館を出る頃には、実に頭がぐったりしてしまうほどの疲労感と充実感を覚えました(普段、起案などしていても、なんか耳が寂しくて、音楽をかけ、それでも足りなくて、何か番組をつけてしまう習性とは、真逆な状態に没入していました。)。

 コロナ禍だったこともあってブリジストン美術館が新しくなってから訪れたことすらなかったのですが、まず、美術館の志向するところがとても素敵でした。たとえば、絵にどこまでも近づいて間近で見つめることのできること(写真も撮り放題なこと)、そのことを担保するため、ネットでチケットを販売し、同時刻の入場者数を制御していること、スマホアプリを用意して、音声解説を導入し、絵の周りからは極力解説を排除し、できるだけ絵画そのものに集中できるように配慮していることなど、どれも今時で、絵を本当に楽しみたい人にとって共感できます。

 そして、何より、ローランサンと同時代の画家たちの圧倒的な絵画です。セザンヌも1枚ありましたし、おしゃまな構図のルノワールの1枚は、何か本質的に繋がってものがあるのか、娘のお気に入りになりました。ローランサンは、代表的な作品がいくつも観られただけでなく、習作的な時代からローランサンがローランサンになって行く過程が何より強い印象を残しました。ぼくには、強い赤い色の入ってくる1930年代以降の作品群より、20年代の、彼女の意匠となっているパステルカラーに埋められているものが、その人格の本質を映しているように思えました。

 

 実は、ぼくがその人物を知ったのは、学生時代に聴いた加藤和彦の表題のアルバムでした。加藤さんの音楽は、そのデビューから、ミカバンドを経て、ソロの最後まで一貫したセンスの良さでぼくを魅了してくれましたが、特に、パパ・ヘミングウェイ以降の一連の作品に格別の愛着を覚えます。

 あの頃、未だ、20代だったぼくには、どちらかと言えば、未来しかなかったはずですが、その時から、何か過去に向かうノスタルジックな気分は決して悪くないものでした。そして、安井かずみの紡ぎ出す言葉たちと相まって、今や、あの頃は、今の自分を支える大切な糧になっていると思うのです。

 

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 今年もアカデミー賞が発表され、3本もエントリーしていた日本映画の中で、ゴジラと宮崎駿が受賞し、一番取って欲しかった Perfect Days は外れてしまいました。

 小津映画は、フランスでは熱心なファンがいても、米国では、黒澤映画のようには人気になりませんでしたが、上記の3本も、視覚的な効果の大きい方がアカデミー賞向きだったのかなぁと思ってしまいました(いくら Wim Wenders とはいえ、あそこまで地味な画が米国の映画賞でノミネートされたことの方がむしろ驚かれるべきことなのかも知れませんね。)。

 Perfect Days は、どこからどこまで実に素晴らしかったですが(映画の本編が余りに素晴らしかったために、この画について語っているYouTube動画を未だにあれこれ見てしまうのですが、明後日の方を向いていたり、主人公の役名がなぜ西山なのかすら分かっていない、前提となる教養に欠けるものが多過ぎますね。)、たとえば、Van Morrison の最初のソロアルバムの一曲目に入っていた Brown Eyed Girl が流れてきた時には、この曲を学童の卒所パーティのBGMに選んだ思い出もあって、心が特別な動き方をしました。

 もちろん、音楽についても、知らないものがいくつもありましたが、特に、一番新鮮だったのは、役所広司が夜寝る前に文庫本で読んでいた。幸田文の「木」でした。もちろん、映画の主題とも被っているのですが、そこを離れても、解説にあるように、文章自体が実に名文で、読んでいて滋養になっていることがしっかりと感じられます。

 映画も本も、使い捨てられないもの、何度も帰ってくることのできるようなものに触れたいと改めて思いました。

 

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ベイビー・ブローカー

 拠ない事情で、急遽出演することになって、共同親権をテーマにした今朝の日曜報道 THE PRIMEにお呼ばれされ、いつものように恥を晒してきました。

 といっても、ぼくは、ヒール、とまではいかなくても、メインのコメンテーターの櫻井よしこさんに弄られる役回りで、地上波で、これだけ時間を割いてくれるのも有り難いは、有り難かったのですが、やっぱり、テレビはテレビで、賛成は青ボタン、反対は赤ボタンみたいな非常に簡単に過ぎる要約になってしまう憾みがありました。日頃家族の問題、つまりは、人間に巣を食ったところで飯を食っている弁護士としては、法制度を変えるぐらいで解決できるような、そんなに簡単な事じゃないんですけど、って、生身の人間の関係性、妻と夫、子どもと親、どちらも、心が練れてないと通じないような性質のことなんですけど、とお伝えしたかったのですが、これまた人生と同じくらい難しくて、なかなか手が届かなかったような、もどかしい気持ちを残しました。

 日曜日などといっても、その後も、仕事で、幾つもの家族の現場に立ち会って来たのですが、夜は、チケットをもらっていたこともあって、ずっと前から予定していた是枝裕和監督の映画「ベイビー・ブローカー」を妻と娘と観て来ました。

 冒頭「羅生門」のラストから引き継いだような、あたかも、オマージュのような雨降りから始まり、「雨あがる」のエンディングのように結論を見せないことで希望を語るラストまで、すべてのカットと台詞と、その音楽と、その演出に、正に心が練れた人の語る意味が映っていて、カンヌだけでなく、すべての権威ある賞に相応しい作品でした(感動の余り、椅子の上で身を捩ったり、喉や鼻を鳴らして反応してしまったので、妻の隣に座っていた娘にも、後で、うるさ過ぎと注意されてしまいました。)。(「万引き家族」のとき以上に、)血がつながっているだけが家族ではない、むしろ、血がつながっていないからこそ、家族と呼ばれる集合体が本来持つその本質的な要素が炙り出されていると感じられました。

 フジテレビの廊下にも、ベイビー・ブローカーのボスターあちこちに貼ってありました。機会があれば、櫻井さんにも観てもらえればなぁと夢想します。

 

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 一つ前の記事で、Ob-La-Di, Ob-La-Da のことを書いていて、連想ゲームのように、自らの家庭に取材し、父子家庭の子育てを綴った藤村の「嵐」を思い出していました。あちらは、自動車の話でしたが、こちらは、お家の引越しの話です。

 この小説、背比べの場面から始まって、とても穏やかに家族の日常が淡々と描かれていくので、最初読み進めるについて、必然的に、何故このタイトルなんだろうと訝りながら頁を捲ることになります。

 そして、この謎も十分に熟した頃、ようやく「嵐」の文字が出てきます。

 「たまに通る電車は町の空に悲壮な音を立てて、窪い谷の下にあるような私の家の四畳半の窓まで物凄く響けて来てゐた。

 『家の内も、外も、嵐だ。』

 と私は自分に言った」と。

 関東大震災を考えなくても、もちろん、外はいつでも嵐ですが、子どもが小さい頃、家の中も、毎日が戦争、と言って不適切なら、非常事態で、内も嵐なことはたしかです。

 思い起こせば、我が家でも、自宅の床には、あらゆる体液がシミを作っていましたし、御自慢だった5.1chのホームシアターシステムのDVDのスロットルからは、しまじろうのカードが出てきたり、買ったばかりのパソコンに花瓶の水をたっぷりかけられたりと、その被害は枚挙にいとまはありません。特に、思い出深いのは、元々一人乗り用のバギーに長男の上から次男を突っ込んで保育園に登園しようとしたところ、バギーのシャフトが折れてしまって、土砂降りの雨の中車輪が転がらなくなってしまい、傘もさせずに、バギーを両手で抱えて、スーツを着ているのに朝からずぶ濡れになりながら、保育園まで運んで行ったことや、機嫌が悪くなった時に、長女が使う最終兵器ゲロ噴射を飛行機の中で頭から浴びたことなど、今となっては、どれもいい思い出でではありますが、やはり、当時辛かった出来事の方をよく記憶しています。

 この辛かったことが、時間の経過の中で、いい思い出となる、むしろ、「墓地」のような人生の中で、明日に向かう力になる不思議を「嵐」は、曰く言い難い霊妙な筆致で、子どもの成長と自立、その裏側にある自分自身の変化と成長、そして、自らの精神の自立として表現されているところに普遍的な価値と深い感動があるように思います。

 島崎藤村の作品は、青空文庫ですべてを味わうことができますが、ここでは、最後の部分を引用します。

 「私はそういう自分自身の立つ位置さえもが ー あの芸術家の言い草ではないが、いつのまにか墓地のような気のして来たことを胸に浮かべてみた。過ぐる七年のさびしい嵐は、それほど私の生活を行き詰まったものとした。

 私が見直そうと思って来たのも、その墓地だ。そして、その墓地から起き上がる時が、どうやら、自分のようなものにもやって来たかのように思われた。」

 「『行ってまいります。』

 茶の間の古い時計が九時を打つころに、私たちはその声を聞いた。植木坂の上には次郎の荷物を積んだ車が先に動いて行った。いつのまにか次郎も家の外の路地を踏む靴の音をさせて、静かに私たちから離れて行った。」

 

P.S.

 今日仕事のために必要があって、2021年6月発刊の藤木美奈子さんという自らもサバイバルしてきた著者による「親の支配 脱出マニュアル」という「心を傷つける家族から自由になるための本」を読んでいたのですが、家の内が、「嵐」であったままの「育ちの傷」を負った人の姿と、その回復のための苦闘をほんの一部ながら学ぶことができました。

 弁護士であるぼくは、関係者のためにも、「育ちの傷」を正確に認識し、正しく対応ができなければいけない、と同時に、「嵐」のような物語に感じることのできる心を失わずに生活を送りたいと思います。

 

PP.SS.

 話題の桑田佳祐 feat. 佐野元春, 世良公則, Char, 野口五郎 - 「時代遅れのRock’n’Roll Band」 でも、「子供の命を全力で 大人が守ること それが自由という名の誇りさ」と謳われていて、ドキッとする箇所になってますね。この歌の出だしには「平和」という言葉も使われ、全体としては、ウクライナに端を発しているように思うのですが、字義通りの戦争でなくても、戦争はありますよね。ここでも、やはり、より普遍的なことが謳われているように思います。

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福助くん

 次男が生まれたとき、最初長男と同じ保育園に入れなかったことが、(登園のために)車を買わざるを得なくなったきっかけでした。

 排気量の割にコンパクトで小回りの効く感じがしたことに加えて、前列が3人がけて、両親の間に子どもが座れるという特等席のあったことが決め手になって、エディックスを購入し、”福助”と名づけ、以来、特に故障もなく助手席を満喫してきました。

 当時は、まだ、FOMAの時代で、30Gあったハードディスクに、CDを厳選して音楽を入れ、携帯で繋いで、楽曲のデータも入れ、自分だけの車内ライブラリ作りを楽しんできました。

 その後は、iPhoneの時代になり、さらには、iTune、Apple Music の時代になって、音楽は配信で無尽蔵に楽しめるようになって、旅に向かう自動車の中でも専らプレイリストを作ってかけるようになりました。

 謝恩会でも、なんでも、楽しい集いに相応しいプレイリストの中心は、いつもビートルズの楽曲です。歌詞がぴたりと合っているので、自分の結婚式でもかけてしまったこともあって、Ob-La-Di, Ob-La-Da などは、いつも聞きたくなります(ポールの2017年春のワン・オン・ワン ツアーも、次男の誕生日プレゼントとして、東京ドームで家族みんなで楽しみましたが、Ob-La-Di, Ob-La-Da のイントロのピアノが鳴ったとき、歓喜のために、思わず横にいた次男と手を叩き合ったことをよく覚えています。)。

 2019年の映画イエスタデイでも、エンドロールで使われていましたが、Ob-La-Di, Ob-La-Da は、歌詞のとおり、幸せな家族そのものの体現のようで、福助くんをお供にした数え切れないほどのお出かけの中で、いつもそこにビートルの楽曲が、そして、Ob-La-Di, Ob-La-Da が流れていました(お調子者の次男は、サビにくると、長女と一緒に、「オナラ」「オパピ」と車内で歌っていました。)。

 そして、次男も、今年は17歳になり、土日も部活に集中していて、親と一緒に出かけることもなくなり、この度福助くんもついにお役御免になりました。

 ポールは、今年6月18日には80歳になり、でも変わらず全米ツアーを続けています。最近は、YouTubeのおかげで、セットリストどころか、先週はここ、今日はここと、すべての公演で、開演前の様子から、すべてのパフォーマンスがそのままアップされていて、A Day in the Life のアウトロで幕を開け、一曲目の Can't By Me Love から本編最後の Hey Jude 、アンコールの1曲目で、ジョンとハモる、 I Got A Feeling を経て、The End まで全36曲、変わらぬ元気な歌唱のすべてを居ながら堪能できてしまいます(16日には、ブルースまで、The End のギターバトルに飛び入りしていました。)。そして、みんな観ている人がアップしているので、撮影者の周りで、家族で一緒に、歌ったり、踊ったり、楽しんでいるところが同時に配信されていて、そこに、一つ一つの家族の様が写り込んで、おじさんでも、女の子でも、みんながポールの曲を大声だして、時には、ポールとポールの楽曲と一緒にこれまで歩んできた道のりに感無量になって、思わず泣きながら、歌っている様を見るだけで、何かじんと来てしまい。ついには、人生を肯定してみてもいいような気になってしまいます。

 Ob-La-Di, Ob-La-Da Life goes on, bra

 La-la how the life goes on

 福助くん、ありがとう。

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